昨年の11月頃ですが、週刊少年チャンピオンで連載していた「バチバチ」という相撲漫画の最終章「鮫島、最後の十五日」の連載がスタートしたのですが…

その第一話を見てまず思ったのが、「そう、この心情がプロとしての覚悟と苦悩なんだよな…」と思ったのと同時に、「ココロコネクトドッキリ企画問題」に関して、自分が未だに怒りを覚えている原因をはっきりと自覚することが出来ました。

本当はその時に説明しようと思っていたのですが…年末の仕事量の多さとコミケの準備の忙しさに振り回されて、タイミングをすっかり逸してしまい、そのまま放置状態だったのですが…今月の頭にコミックス第一巻が発売されたので、いい機会だと思い、ここで取り上げてみます。

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この主人公の「鮫島鯉太郎」は、相撲が好きで好きで仕方がないのですが、自分でも「自分は相撲に選ばれていない」というのをはっきりと自覚しています。

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相撲取りに取っては致命的な「大きくなれない体質」なのです。

なので毎回、勝つためにかなり無理をしているのですが、好きな相撲に半端に挑むのは自分自身が許せない、でもそのためにどんどん相撲生命が短くなっていることも自覚しています。

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だから、常に取り組みでは「これが最後の土俵かもしれない」という覚悟で土俵に登っています。
そして、「最後の土俵かもしれない」からこそ、悔いが無いように、相手にも「最高の取り組み」を求め、引き出そうとするのです。
(この漫画は僕が知っている相撲漫画の中でも屈指の熱い作品なので、もし読んだことが無い方はぜひ「バチバチ」から読み始めることをお勧めします。)


これは相撲での話ですが、大きく解釈すると「プロとしての自覚と覚悟」とも言えますし、声優業も似たような所はあります。

声優業をやっていると分かるのですが、芸能界である以上、非常に不安定な業界です。
いつ、自分が干されるかわからない、どの仕事が自分にとっての最後になるのか分からない。

大御所さんからお酒の席で聞いたことがあるのですが、この不安はどんなに時が立ったとしても消えることがないそうです。
声優さんはどのような立場の方もこの不安を抱えて仕事をされています。

だからそうならないように、たとえそうなったとしても悔いが残らないように、全ての作品に対して今の自分の全部を注ぎ込もうとするのです。

だからこそ、自分が出演する作品に関わる人にも、全力を尽くして欲しい。
手抜きなんかされると、「じゃあ、俺がやったことは一体なんなんだろう…」と悔いが残ってしまうでしょうから。

それが、声優業を営んでいる人の普通の考えです。


そこで「ココロコネクトドッキリ企画」の件に立ち戻ってみましょう。


あそこで被害にあった市来さんは、役を獲得しようとして、それこそ必死で考え、自分の持てる全てを出してオーディションに望んだはずです。

しかし、待っていたのは、その必死さを嘲笑する、その努力すら無に帰させるというドッキリ企画。
更にはそれに同業者も加担しているという始末。


「後で別の役を与えるつもりだった」というのは、言い訳にもなりはしません。
あなた達は、声優としての、役者としての本分を踏みにじったのですから。

まずやるべきことは、市来さんに対して、そして、この業界で活動している全ての人達に対して謝罪するべきなのではないでしょうか?

しかし、やったことと言えば、「見ている人が解釈を誤った」という責任転嫁。
そして、それ以降の雲隠れ。

これに怒りを覚えないというのはおかしな話です。


残念なのは、市来さんもこの企画に同調してしまったことですが、それは個人の判断なので僕からは何も言えません。
ただ、同情はしないだけです。見損なったとも言えます。


今では大分情報がねじ曲げられ、追求している人がおかしかったという流れになっているのを時々見られますが、もしそういう情報に踊らされている人がいるのでしたら、まずはイベントの動画をノーカットで見ることをお勧めします。

それを見てから、各自で判断して下さい。
それでも追求する人を非難するというのでしたら、それはもう価値観の違いでしょうから。


昨今の「取り敢えず形だけ」を取り作っている今の業界を見ると、プロって一体何なんだろうなという気持ちにさせられます。

プロとして、メディアに関わっている以上、自分一人の問題ではない、そこに関わる全ての人たちを巻き込んでしまうことなのだということをいい加減自覚してほしいものです。